編み物練習中

今年の夏頃、編み物に挑戦しようと、まずはかぎ針編みから始めてみました。

かぎ針に慣れてきたので、最近は憧れの棒針編みに挑戦しています。

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初心者用の棒針編みの本を買ってあったので、まずは本のおっしゃる通り表目と裏目の練習をしばらくしていました。

かぎ針から棒針に移行したので、針の先端がまっすぐなのにどうやって編めと?という感じで途中投げ出しそうになりましたが、しばらく練習していると段々慣れてきました。

ということでまずはステップ1のケープを編んでみます。

しかし棒針の長さが足りない気がします。ダイソーで買ったこの棒針が、一体何号の太さだったか全く覚えてないので、もしかしたら針が合ってないかもしれない。まあとりあえずこのまま進めてみます。

  

母方のおばあちゃんが編み物ができる人で、

私が小さい頃、おばあちゃんの編んだセーターを、父が良く着ていたのを覚えています。

こんなものを手で編めるなんてすごいなあと、子供ながらに感動した気がします。

目標はきれいなセーターを編めるようになること!

 

今日は編み物をちょっとして、洗濯などしてから、久しぶりに実家に帰ってきた。なんと、いとこ夫婦に二人目が出来たと、つい昨日発覚したところだったらしい。びっくりだけどおめでたい!

 

埼玉 白寿の湯へやってきました

ここ1年くらい車の運転をしていなかったので、運転の仕方を忘れないよう、久しぶりにドライブしてきました。
近所の格安レンタカーで車を借り、片道2時間半かけて、気になっていた温泉へ。
埼玉県の北端にある、白寿の湯です。

友達や誰かを乗せた方がレンタカー代を割り勘できますが、1年ぶりの運転で人を乗せるには少し不安があるので、おひとり様ドライブです。

温泉に近づくにつれ徐々に山々が見えてきたりして、「おお〜山だ〜」とテンションがあがります。車の運転は結構好きなので、これからも定期的にレンタカーでドライブしたいなあと思っています。



元々はただの「白寿の湯」でしたが、最近リニューアルしたらしく、新しくなった名前が「おふろcafé 白寿の湯」
知名度の上がってきたおふろカフェが、こんなところにも勢力を伸ばしてきているようです。同じくつい最近、熊谷にも出来たという話を聞いています。
白寿の湯は、おふろカフェになる前からネットの埼玉温泉ランキングで一位になっていたので、いつか行きたいと思っていました。レビューによると、温泉の泉質が良いらしい。
内装はリニューアルされていますが、元々の内装の古さの片鱗が至る所で見受けられます。これからどんどん綺麗にしていくのでしょう。

お風呂場内のパネルによると、白寿の湯は別名 千枚田の湯 と言われているらしい。確かに浴槽とその周りには、長年かけて蓄積されたであろう結晶化した温泉成分が、千枚田のような模様を描いていました。表面を触ると陶器のようにツルツルしています。

泉質の良し悪しは良く分かりませんが、お湯の感じは意外とサラッとしていて、お肌がツルツルしてなんだかいいカンジでした。

オシャレに改装された休憩スペースで、地元の人らしきおじいちゃんが、どこに座ったらいいのかという風でうろうろしていました。私も一緒にうろうろしていました。なんかこう、押入れみたいな箱に入ってる人とか、ハンモックに乗ってる人などがいて、戸惑います。
懐古趣味の私には、若者向けのオシャレ空間はどうも落ち着きません。私がそんなんなので、おじいちゃん達はもっと落ち着かないんじゃないかと思います。

内装はともかくとして、いい温泉でした。
他にも行きたい温泉が幾つかあるので、何ヶ月後かにまた車を借りてドライブしたいなあ〜

慣れとは恐ろしいと思う話

人の適応能力はすごいなあと実感しました。

少し前に、職場のコピー用紙が変わりました。
総務の手違いで、以前よりも質の悪い紙を注文してしまったらしい。
当たり前ですがコピー用紙も値段によって良し悪しがあるようで、それが少しめくったりするとすぐ分かるような質の悪さなのです。ザラザラしていて色味もあまり良くない気がする。なんだこの安っぽい紙は!こんな紙でお客さんに書類を渡せるか!と内心憤慨したほどです。

ですがまあ先述のように人とは慣れしまうもので、私もその適応能力を遺憾なく発揮し、しばらくすると「安っぽい紙」という感覚は完全に消え失せていました。

今日はついに質の悪いコピー用紙の在庫が切れ、元のコピー用紙に戻りました。
今朝、書類を印刷して元のコピー用紙と再会した時、私は人知れず戦慄しました。
な…!なんだこのツルツルは!! この溢れ出る高級感は!?と。
あの悪質なザラザラした紙が、私にとってのコピー用紙の質の、基準になってしまっていたのです。なんということでしょう。

どんなに悪いものでも、いずれ慣れて気付かなくなってしまうのかと思うと、自分は今、何に慣れてしまっているのだろうと考えさせられます。

予想外にアツくなってしまいましたが、言いたいことはそんなくだらない紙の話ではありません。いや、紙の話もくだらなくなんかないですが、慣れてしまったことが他にもあるのです。

昔から私は、人との対立が苦手で、他人に言われたことは大体素直に聞いていました。友達と喧嘩したこともなければ、反抗期も無かったような気がします。人から好かれたいから、反論したい時でも自分の意見は自分の内に押し込めていました。

じきに押し込めることに慣れてしまったからか、反論が出来なくなってしまったのです。この間も、反論したかったのに、反論したいという自分の気持ちにすぐに気付かなかった事がありました。

 

高校の同級生に、Sという、自己主張が激しく怒りっぽいヤツがいまして。と言うとなんだか怖いようですが、私はSの、トゲトゲしく攻撃的な性格が嫌いではありません。攻撃的なのは苦手ですが、それ以上に面白いヤツなのです。


引っ越そうと思う、とSから先日電話がありました。今の一人暮らしの家から引っ越したい。六万円で駅から近くてお風呂トイレ別で、新築がいい。などと言っているので、それはわがまますぎでしょ!なんてへらへら笑いながら話をしていました。

その流れでSが「やっぱ妥協しなきゃだめか〜!おまえは家も男も妥協してるから上手くいってるんだよな〜」と言うので、「妥協〜?妥協ねえ…そういうもんかねえ」と少し納得いかない感を出しました。

しかしすぐに「そうだよ!ブスがブス同士妥協してすぐ結婚するから、ブスばっかり出来んだよ。いっそ昔の一夫多妻に戻して、イケメンを量産すればいい!」なんて言い出すので、もういっそ笑ってしまいました。

その後もぐだぐだと話をしましたが、電話を切ってから「あれ!さっきの反論したかったな〜!」と気付きました。
その為に再度掛け直すのもなんなので、この場で言いたい。
私は妥協してるわけじゃない。Sとは求めるものが全く違うだけで、家はユニットバスでもとにかく家賃の安さに重点を置いたし、彼氏に関しては私がベタ惚れで付き合ってもらってるんだ!私には勿体無いぐらいだ!

と、今思えばそう強く反論したかったけど、
そんなこと私が分かってればそれでいい気もする…
でも、お互いの為に言いたいことは言った方がいいとも思います。

特にSの場合は、相手に反論の隙を与えてくれないので、とりあえず瞬発力を身に付けたいと思います。

段々何を言いたいのか分からなくなってきましたが、とにかくそういう話をしたかったのです。

明日は孤独にドライブの予定。
前から行きたかった温泉に行ってきます。
それでは。

 

好きなフレーズの話

 

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ

 

って小説のタイトルを仕事中ふと思い出して、このフレーズめっちゃ好きだわと唐突に思いました。好きっていう気持ちって…抑えられないよね!

 

なんで好きかって言われると困っちゃうんだけど、語感がいいよね。腑抜けどもってのもいいけど 悲しみの愛 ってのがいい。悲しみの愛ってなに?どやって見せればいいの?意味はよく分からないけれど誰かに言われてみたいセリフナンバーワン。もしくは言いたい。

 

高校生の時かな?ゲオでこのタイトルが目について、DVDを借りたものです。原作の小説は読んだことありませんが、映画だけ観ました。ストーリーは記憶にありませんが、兄と弟が一緒に観ていて、鑑賞後の兄の感想が「なんかスゲェ映画だったな…」というのは覚えてます。それに対し私は結構嫌いじゃないな〜と思った記憶がある。

 

なんだか忘れてしまった内容が、どんどん気になってきました。今度は原作の小説を借りてきて読んでみようかなあ。

 

腑抜けども、悲しみの愛を見せろゥ!

 

…うん。

やっぱりイイですねえ。

なんだか眠りにつけない夜なので、くだらない話を書いてたら、ようやく眠くなってきました。

ブログを移転した話

もともとはFC2ブログで作成したこのブログですが、この度、やんごとなき理由で現在のはてなブログへ引っ越して参りました。

とあるお弁当ブロガーさんがFC2ブログを使っているのを見て、おお私もそこにしよう!と決めたのですが…様々なカスタム機能やら便利機能を、全く使いこなす事が出来ず、便利なものも使わなければただただ邪魔なだけだと思い知りました。自分のような初心者には、自分好みにカスタム☆なんて滅相もございませんということで、よく知らないけど何となくシンプルそうなこちらのはてなブログに移転してみました。

 

ブログの移転とは随分簡単なもので、前のブログの記事をまるまるエクスポート&インポート出来るという。なんて便利なんでしょうか。

そんなの全然知らなかったので、移転したら前の記事は全て削除するものだと思っていました。

高校生の時からアメブロでブログをやっておりましたが、ある時ふと読み返して猛烈に恥ずかしくなり、完全に閉鎖した事があります。今思えば、高校時代の私が書き残したものを削除してしまったのは、とても惜しい。勿体ないことをしたなあと思う反面、ぼんやり覚えてるその内容を思い返して、いや、あんなこっぱずかしいものは削除して正解だったなとも思います。せめてもっとまともなことを書いておけばよかった…アホな高校生の私に説教でもしてやりたいところです。

 

でも本当に、自分の文章を読み返すと大変恥ずかしい。

先日のあまざらしのライブの感想なんてあんなに頑張って書いたのに、読み返すと、なんて気持ち悪い文章を書くんだコイツは と我ながら思います。

なんなんでしょうかこの感覚は?

録音した自分の声を聞いた時の不快感のように、いずれ慣れるものなのでしょうか。おそらくそういうものではなく、ただの文章力不足というか、頭の悪さが問題なのでしょう。きっとそうなのでしょう。

 

ところでiPhoneBluetoothキーボードを使って入力しているんですが、ある程度入力したところでフリーズしてしまうこの現象は一体なんですか。

なんという嫌がらせか!FC2ブログの時は、一度フリーズすると文章全部消えてしまっていたのですが、はてなブログはなぜか途中までちゃんと残っていました。

どういうことでしょう?

ありがたやはてなブログ…!

 

 

amazarashi 360° Live 10/15

昨日は楽しみにしていた、あまざらしのライブに行ってきました。

少し前にやったスターライト千分の一夜のライブの時と同じように、秋田さんが執筆した小説 虚無病の朗読を挟みながらの、物語に絡めた選曲でのライブでした。特に何も考えず 久しぶりのライブだあ〜楽しみ〜 ぐらいの気持ちで行ったら、冒頭から虚無病の映像が流れてびびった。

あまざらしのライブは、スタンディングでは観客全員棒立ちで、席指定だと全員着席してるのが基本になっているみたいです。私がライブに行き始めた4年前位からずっとそうだがそれより前はどうだったか知らない。

なんにせよ、虚無病の物語上の宗教布教映像を観客総員が身動きせず見つめる光景には、異様な不気味さを感じました。良い意味で恐ろしい演出です。

勿論、そういう陰気な暗い部分もあまざらしの一部として好きです。でも実のところは、底抜けに陰気で後ろ向きに見えて、芯の部分はとても前向きでいいヤツ  というのがあまざらしだと思っています。

 

そういう意味で今回のライブは、序盤の不穏で絶望的な状況から物語が始まって、徐々に光明が差して明るく前向きな雰囲気になっていく構成で、とてもあまざらしらしいものだったんじゃないかなと思うんです。

 

 

ただ、超個人的な感想を書きたいと思いますが…久しぶりのライブだったからか、席が悪かったのか、爆音すぎて耳がビリビリしました。段々慣れましたが序盤は、音もーちょい絞ってくれええと思いながら聴いてました。でもまあ爆音で生歌を聴けるのがライブってもんですよね。うんうん。

 

それと、虚無病という物語に沿ったライブ構成。物語の場面と曲がリンクしていて、特に穴を掘っているの曲導入部分は、この曲はまさかこの物語のための伏線だったというのか…!?と思うほど繋がっていました。映画を観ているような、綺麗にまとまったエンターテイメントだなと思います。しかしライブハウスで見る秋田さんの魂の叫びのような語りから曲に入る流れが好きだったので、そういった情熱的なものが今回はうまく伝わって来なかったような気がします。物語と映像を追うのに気を取られ、あまり歌が入って来なかったようにも思います。千分の一夜の時には、そんな事はなかったのですが、事前にホームページやらに載っていたストーリーを読んでいたからかも知れません。

 

だらだらと書いてますけど、つまりは今までのライブ程の感動が無かったのです。

多分、私自身が以前と変わってしまったんじゃないかなあ…それでイマイチあまざらしに共感出来なくなってしまったのかもしれない。暗い歌が好きだったけど、明るい歌が好きになってきた。

これが大人になるということか。

 

なんだかんだ言いつつも、次のライブも絶対行きたいです。

初心者によるガラス食器の金継②

〜銀を蒔く編〜

昨日あたりから、外の空気に冬の匂いがしてきました。こう、冷えた空気の匂いがして。ひとり冬到来の兆しを感じています。

さて、金継もとい、銀継の銀を蒔く作業です。

接着してから少し時間を置いたので、かなりしっかりとくっついています。銀継の本番、漆を塗り銀を蒔く作業ということで、道具類も配置して万全の態勢で挑みます。

筆は百均で購入した絵画用丸筆の一番細いやつを使いました。漆を塗るので、使い捨てです。前回接着剤を練った時に使った封筒の空いているところに、漆を少し出します。漆ってなかなかに臭いんですね。あとで乾き具合を見るいわばテストピースとして、同じ封筒に500円玉大に漆を塗っておきました。

早速、接着部分に沿って細く塗ろうとしたのですが、これがなかなか難しい。筆が柔らかすぎるのか、どうしても線が太くなる。接着の段階はめちゃめちゃきれいにできたのに、このふっとい線で台無しです。まあ初心者なので仕方ない、これも味かと思うことにして豪快に塗りました。

漆を乾燥させるためには、湿度の高い環境が必要だそうです。気温も低すぎるとダメだとか…漆って不思議ですね。

ということで、漆を乾燥させるための箱を用意。これもまた百均で購入した、コップを入れるのにちょうどいい大きさのCDケースと、その側面に濡れたティッシュを貼り付けておきました。これで湿度はバッチリ保たれるはずだ!

銀の蒔き時が来るまで、この簡易室にグラスをいれて待ちました。本によると、テストピースとして塗っておいた漆に息を吐きかけて、一瞬曇るようになったらそれが撒き時だという。

何度息を吐きかけたことだろう。

これが全く曇らない。

5分おきくらいにテストピースに向かってハーハーしていましたが、1時間ぐらい経っても変化がありません。これには困りました。仕方ないのでつまようじか何かでテストピースをツンツンしてみると、なんとなく固まってるような感じがして、あれっ!固まってるじゃん!焦 という感じで急いで銀を蒔く準備に取りかかりました。

銀粉を箔箸でつまみ、少しずつ粉筒に入れ、グラスに塗った漆の線めがけてとんとん銀粉を落とします。銀粉のまとまったものを見たときは、なんかあまり綺麗じゃないなあと思いましたが、グラスにはらはらと蒔かれた銀粉を見ると本当に綺麗に見えます。一通り蒔いたら、丸めた真綿で漆の周りの銀粉をささっと掃いて漆の上に乗せます。そして、真綿で線をぽんぽんと抑えて銀粉を定着させました。

この真綿がまたいい仕事をすること。

最初、真綿なんて持って無いわ!ティッシュで充分っしょ?とか思いましたが、真綿じゃなきゃダメですねこれは。この真綿の究極のふわふわが、半乾き状態の漆にダメージを与えず、いい感じに銀粉を蒔いてくれました。

全然綺麗に線を引けなかったけど、どうにか銀継の形になりました。

下手に擦って漆部分をダメにするのが怖いので、銀粉が散らばったまま簡易室に入れておきました。このまま1〜2日すると、とりあえずは水で流して大丈夫だそうな。その後ティッシュか何かで優しく水分を拭き取り、また一ヶ月ほど簡易室で乾燥させます。

完成したらまた写真をのせよう。

銀粉を蒔く作業が思いの外楽しかったです。銀粉もまだ残ってるし、他に割れた食器ないかな〜と考えたら、実家にしまってある新うるしで金継したコップを思い出しました。

あれの新うるしを除去して、本漆で銀継し直したいなあ。本漆がびっくりするほど余ってるし。まだ全容量の95%くらい残ってます。まあそれは今度で!

なぜか思い立って、蛭子さんの著書 くにとのつきあいかた を図書館で借りてきて読んでます。あの、クズとの呼び声高い蛭子さんです。この人の本は初めて読むけど、読みやすいエッセイになっていて結構面白いです。この前借りた世界の歴史第一巻は途中で疲れて全く読み進められずに返却してしまったけど、これは最後まで読めそう。

読書の秋、真っ只中ですね。