畏敬の念をこめて

私は常々、純粋でいたいと思っている。

しかし純粋でいると言うのは、年齢を重ねる毎に困難になっていくものではないか、とも思う。勿論、生きてきた中で周りを取り巻いてきた環境の良し悪しにも大きく左右されるだろう。

私はその点恵まれていて、なに不自由なく育てられ、周りの大人達や友人達に愛情を注がれて生きてこれた。それでも社会に出て人間関係が広まるにつれ、自分の持っていた純粋さが段々と濁っている気がしてならない。

 

先日、小林麻央さんの訃報を職場の人づてで聞いた。全く関係の無い、いち一般人の私にも、その死に深く考えさせられた。「かわいそう」という職場の女性の言葉を聞いて、確かにそう言いたいのが人間心理であり、至極自然な言葉である。しかし、かわいそう と言うのは余りに失礼だろう。そんな事を言われたくて闘病生活をありのままに綴った訳ではあるまい。ただ報道を聞き齧っただけであるが私には彼女が本当の意味で純粋で、強く美しくみえる。美しい人とは、こういう人のことを言うんだ。私も彼女のように、愛し愛され豊かな生涯を送りたい。だから心からの畏敬の念を込めて、その死を悲しみたい。

 

偉そうに言っているが、書きながら自分の思う純粋さ の定義が曖昧なのに気付いたので、それはまた後で深く考えたい。とにかく、麻央ちゃんの持つ純粋さこそ、私の目標とするそれだろうと、ぼんやりと思ったのだ。