ブログ、再考

ある本によると、言葉とは他人に伝えるための手段であって、私もこうして何かを伝えようと言葉にしていることになる。

こうして文章を書こうとするとき、私の中にある情報を文章として意味が通るように整理するために、「これは書いても意味が伝わらないだろうから」という情報は削ぎ落としていく。

そうやって削ぎ落としたものこそ私が本当に記しておきたいものなんじゃないか。
そもそも何のためにブログを書き始めたんだっけ?節約の記録か!
節約は順調です。
とくになにを切り詰めているわけでも無いけど、大変な贅沢をしなければ普通に好きなように生きていけるもんだ。安月給でも、一人暮らしなら。

いや本当はそんな私の日常なんてくだらないものじゃなくて、もっと書いておきたいことがある…と、そんな気がしてきました。なにを食べたとかどこに行ったとか、書いておくことも必要なんだろうけど、何だかなあ。まあどうせこんな変なブログなど誰も見ちゃいないだろうし、好きなことを書けばいいじゃ無いか。

そんな、絶賛迷走中な私です。
今日は風邪が治らず行く予定だったスノボをドタキャンし、ひたすら寝ている所。

(個人的に)激動の2ヶ月

激動だったんですよ…

その激動っぷりを、熱心に綴っていたんですよ…

この…!!はてブロアプリが…!!

フリーズさえしなければ……!!

私の頑張りは一瞬で水の泡です。

仕方ない。

とりあえず、インフルかもしれないので今日はこれから内科へ行ってきます。

明日友達とスノボに行く予定なので、インフルだったら自粛せねばだ。

休日はだいたい引きこもり

椎名林檎が、なんとかっていう曲の冒頭で「好きな人や物が多すぎて 見放されてしまいそうだ」と勢いよく歌っている。
学生の頃聞いた時、そうそう そうなの。としみじみ同調したものです。多くと均等に向き合う事は難しいです。


最近、勉強しようと図書館で池上彰の本を借りてきたり、ブックオフで学問のすゝめを買ってきたりしたのですが、突然ゲーム熱が再発してメルカリやAmazonで気になるソフトを買い漁っています。勉強の息抜きにゲームをしようという考えでいたのですが、その中毒性を舐めていました。池上彰もそっちのけで、PSPメタルギアソリッドに熱中している今日この頃です。
編み物も全然進みませんし。友人を飲みに誘おうと思いつつも、つい先延ばしにしてしまう。
友情に甘えてます。多分、みんなそれぞれ元気にやっているのだろう。

あまり一人遊びが好きなのもよくないなあと思ってはいるのですが…外も寒くなってきたし。自宅にこもってこたつで休日を過ごすことが多い。恋人も仕事で忙しそうですし。

そんなことをもやもや考えています。
ああ、温泉に無心で浸かりたい。

私の「ちゃんとした」料理観の崩壊

一人暮らしを始めて、一年とちょっと経ちました。

友達も多い方ではないし、職場も年の離れた人しかいないので、外食の機会もそう多くありません。ということで積極的に自炊していて、料理の腕もまあ少しは上達してきたかなと思います。
実家暮らしの時は、料理なんてお弁当用にちょこっと作るぐらいで、きちんとした料理をしたことはありませんでした。
自炊始めたては本当にひどいもので、自分でもなんでこんなに美味しく無いものが出来上がるのか分からないという事態が多々ありました。油ぎとぎとだったり、味が濃すぎたり薄すぎたり、まあ今でもたまにありますが。

そんな料理初心者にも分かりやすく料理を教えてくれる、NHKの料理番組 きょうの料理 を毎回録画して見ています。あれはいいですね。結構見てて面白いし。…違います、NHKの回し者ではありません。
料理本もいいですけれど、やっぱり動画で実際に見るのが一番いい。なんでも目で見て覚えろ とよく言いますし。
あと、噂には聞いていたレミさんのぶっ飛び具合には、つい吹き出してしまいます。レミさんと後藤アナのコンビは、大変和む。和む料理番組です。

そうそのきょうの料理で、先日60周年記念の1時間生放送スペシャルがあったようで、毎回録画機能で勝手に録画されていました。後藤アナに谷原さんに、レミさんに土井先生という、こ、これが俺得というやつか!と思うキャスティングでした。

その終盤で、あの関西系の訛りのやさしい語り口で料理を教えてくれることでお馴染みの、料理家の土井先生が、「一汁一菜」を提唱していました。
普段の食事はご飯と具沢山のお味噌汁、これだけでいいんだ と。贅沢と質素のバランスが大事なんだと。
まあ詳しく本など読んだわけでは無く、その番組でちょこっと聞きかじっただけですが、そんなことを言っていました。
それを聞いて思い当たることがあり、確かにそれはいい!と、もう目から鱗のようでした。
私の場合、お味噌汁に白米に、主菜と副菜一品づつの一汁二菜がいつものスタイルです。しかし出来立てのアツアツを、冷めないうちに食べなきゃという思いから、どうしても焦って食べてしまうことが多い。よく無いとわかっていながらも、早食いしてしまうのです。常々、「冷めないうちに、なんて考えちゃうからあんまり味わえないなあ…」と考えていたところにこの土井先生のお話。
ご飯とお味噌汁、それと少しのお漬物があるそれだけで、品数が少ないから冷めないうちにあれもこれもと急がなくても、ゆっくり味わって食事をすることができる。すぐ簡単に作れるとか、節約できるとかそいうことも魅力だけどやっぱり、料理を味わって食べれるというのがいい。
早速明日から試してみようと思います。

男性の料理家で、実力も知名度もある土井先生が、こういうことを言ってくれるというのが本当にありがたいなあと感じました。丁寧で、料理を愛する姿勢が見てわかる土井先生ですから、レミさんが同じ事を言うのとはまた印象が全然違うだろうなと思います。決してレミさんが料理を愛してないと言う訳じゃありませんよ。
やっぱり、一汁一菜なんていうと、世間一般の常識的には、手抜きだと思ってしまうところが大きいでしょう。私も、手抜きはしないようにという道徳的観念から、主菜副菜と大体毎回作っていました。でも、作り込んだ料理だからとか、品数が多いから良いということでは無いですね。

ちょっと私のこの想いを書き表すには、文章力が追いついてないのでこの辺にしておきますが、とにかく、私は食事を楽しみたいのです。普段は一汁一菜で、時間に余裕があるときなんかに他の料理を作ればいいのかもしれない。そう思わせてくれました。
土井先生が先日出版した料理本、「一汁一菜でよいという提案」を一度読んでみたいと思います。

編み物練習中

今年の夏頃、編み物に挑戦しようと、まずはかぎ針編みから始めてみました。

かぎ針に慣れてきたので、最近は憧れの棒針編みに挑戦しています。

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初心者用の棒針編みの本を買ってあったので、まずは本のおっしゃる通り表目と裏目の練習をしばらくしていました。

かぎ針から棒針に移行したので、針の先端がまっすぐなのにどうやって編めと?という感じで途中投げ出しそうになりましたが、しばらく練習していると段々慣れてきました。

ということでまずはステップ1のケープを編んでみます。

しかし棒針の長さが足りない気がします。ダイソーで買ったこの棒針が、一体何号の太さだったか全く覚えてないので、もしかしたら針が合ってないかもしれない。まあとりあえずこのまま進めてみます。

  

母方のおばあちゃんが編み物ができる人で、

私が小さい頃、おばあちゃんの編んだセーターを、父が良く着ていたのを覚えています。

こんなものを手で編めるなんてすごいなあと、子供ながらに感動した気がします。

目標はきれいなセーターを編めるようになること!

 

今日は編み物をちょっとして、洗濯などしてから、久しぶりに実家に帰ってきた。なんと、いとこ夫婦に二人目が出来たと、つい昨日発覚したところだったらしい。びっくりだけどおめでたい!

 

埼玉 白寿の湯へやってきました

ここ1年くらい車の運転をしていなかったので、運転の仕方を忘れないよう、久しぶりにドライブしてきました。
近所の格安レンタカーで車を借り、片道2時間半かけて、気になっていた温泉へ。
埼玉県の北端にある、白寿の湯です。

友達や誰かを乗せた方がレンタカー代を割り勘できますが、1年ぶりの運転で人を乗せるには少し不安があるので、おひとり様ドライブです。

温泉に近づくにつれ徐々に山々が見えてきたりして、「おお〜山だ〜」とテンションがあがります。車の運転は結構好きなので、これからも定期的にレンタカーでドライブしたいなあと思っています。



元々はただの「白寿の湯」でしたが、最近リニューアルしたらしく、新しくなった名前が「おふろcafé 白寿の湯」
知名度の上がってきたおふろカフェが、こんなところにも勢力を伸ばしてきているようです。同じくつい最近、熊谷にも出来たという話を聞いています。
白寿の湯は、おふろカフェになる前からネットの埼玉温泉ランキングで一位になっていたので、いつか行きたいと思っていました。レビューによると、温泉の泉質が良いらしい。
内装はリニューアルされていますが、元々の内装の古さの片鱗が至る所で見受けられます。これからどんどん綺麗にしていくのでしょう。

お風呂場内のパネルによると、白寿の湯は別名 千枚田の湯 と言われているらしい。確かに浴槽とその周りには、長年かけて蓄積されたであろう結晶化した温泉成分が、千枚田のような模様を描いていました。表面を触ると陶器のようにツルツルしています。

泉質の良し悪しは良く分かりませんが、お湯の感じは意外とサラッとしていて、お肌がツルツルしてなんだかいいカンジでした。

オシャレに改装された休憩スペースで、地元の人らしきおじいちゃんが、どこに座ったらいいのかという風でうろうろしていました。私も一緒にうろうろしていました。なんかこう、押入れみたいな箱に入ってる人とか、ハンモックに乗ってる人などがいて、戸惑います。
懐古趣味の私には、若者向けのオシャレ空間はどうも落ち着きません。私がそんなんなので、おじいちゃん達はもっと落ち着かないんじゃないかと思います。

内装はともかくとして、いい温泉でした。
他にも行きたい温泉が幾つかあるので、何ヶ月後かにまた車を借りてドライブしたいなあ〜

慣れとは恐ろしいと思う話

人の適応能力はすごいなあと実感しました。

少し前に、職場のコピー用紙が変わりました。
総務の手違いで、以前よりも質の悪い紙を注文してしまったらしい。
当たり前ですがコピー用紙も値段によって良し悪しがあるようで、それが少しめくったりするとすぐ分かるような質の悪さなのです。ザラザラしていて色味もあまり良くない気がする。なんだこの安っぽい紙は!こんな紙でお客さんに書類を渡せるか!と内心憤慨したほどです。

ですがまあ先述のように人とは慣れしまうもので、私もその適応能力を遺憾なく発揮し、しばらくすると「安っぽい紙」という感覚は完全に消え失せていました。

今日はついに質の悪いコピー用紙の在庫が切れ、元のコピー用紙に戻りました。
今朝、書類を印刷して元のコピー用紙と再会した時、私は人知れず戦慄しました。
な…!なんだこのツルツルは!! この溢れ出る高級感は!?と。
あの悪質なザラザラした紙が、私にとってのコピー用紙の質の、基準になってしまっていたのです。なんということでしょう。

どんなに悪いものでも、いずれ慣れて気付かなくなってしまうのかと思うと、自分は今、何に慣れてしまっているのだろうと考えさせられます。

予想外にアツくなってしまいましたが、言いたいことはそんなくだらない紙の話ではありません。いや、紙の話もくだらなくなんかないですが、慣れてしまったことが他にもあるのです。

昔から私は、人との対立が苦手で、他人に言われたことは大体素直に聞いていました。友達と喧嘩したこともなければ、反抗期も無かったような気がします。人から好かれたいから、反論したい時でも自分の意見は自分の内に押し込めていました。

じきに押し込めることに慣れてしまったからか、反論が出来なくなってしまったのです。この間も、反論したかったのに、反論したいという自分の気持ちにすぐに気付かなかった事がありました。

 

高校の同級生に、Sという、自己主張が激しく怒りっぽいヤツがいまして。と言うとなんだか怖いようですが、私はSの、トゲトゲしく攻撃的な性格が嫌いではありません。攻撃的なのは苦手ですが、それ以上に面白いヤツなのです。


引っ越そうと思う、とSから先日電話がありました。今の一人暮らしの家から引っ越したい。六万円で駅から近くてお風呂トイレ別で、新築がいい。などと言っているので、それはわがまますぎでしょ!なんてへらへら笑いながら話をしていました。

その流れでSが「やっぱ妥協しなきゃだめか〜!おまえは家も男も妥協してるから上手くいってるんだよな〜」と言うので、「妥協〜?妥協ねえ…そういうもんかねえ」と少し納得いかない感を出しました。

しかしすぐに「そうだよ!ブスがブス同士妥協してすぐ結婚するから、ブスばっかり出来んだよ。いっそ昔の一夫多妻に戻して、イケメンを量産すればいい!」なんて言い出すので、もういっそ笑ってしまいました。

その後もぐだぐだと話をしましたが、電話を切ってから「あれ!さっきの反論したかったな〜!」と気付きました。
その為に再度掛け直すのもなんなので、この場で言いたい。
私は妥協してるわけじゃない。Sとは求めるものが全く違うだけで、家はユニットバスでもとにかく家賃の安さに重点を置いたし、彼氏に関しては私がベタ惚れで付き合ってもらってるんだ!私には勿体無いぐらいだ!

と、今思えばそう強く反論したかったけど、
そんなこと私が分かってればそれでいい気もする…
でも、お互いの為に言いたいことは言った方がいいとも思います。

特にSの場合は、相手に反論の隙を与えてくれないので、とりあえず瞬発力を身に付けたいと思います。

段々何を言いたいのか分からなくなってきましたが、とにかくそういう話をしたかったのです。

明日は孤独にドライブの予定。
前から行きたかった温泉に行ってきます。
それでは。